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  「 広島を代表する川 太田川 」 <環境コラム>

太田川の歴史
 太田川は冠山を源流とし、冬の雪解け水から始まっておよそ100kmの旅の途中で柴木川・滝山川・水内川・西宗川・根谷川・三篠川等の支川を集め、広島市内で太田川放水路と旧太田川・天満川・京橋川・元安川・猿猴川の6川に分流し、瀬戸内海へと注がれています。
 冠山は第四世紀の火山活動によって出来たもので、噴出した溶岩が堆積して冠高原が出来たとされています。現在流域で最古とされる旧石器時代の遺跡が発見されており、石器時代の人々は付近に転がる安山岩で石器を作り、豊かな森の恵みと清らかな水を糧に生活していたと推測されることから、古来から現在まで、太田川が人々の暮らしを支え続けていることがうかがえます。

日本名水百選に選ばれた太田川
 花岡岩の地質に恵まれた太田川は、水質・水量や周辺の環境・景観などが良好に保たれ、高く評価されています。
 大都市を流れる川では全国で屈指の水質を保ち、環境省の「名水百選」に選ばれています。

太田川の地質
 太田川流域の地質は上流に高田流紋岩類が広く分布しており、急峻な地形を形成しています。中流では粘板岩や広島花岡岩類が広く分布し、下流になると平地部では軟弱な砂・シルト互層が主体の広島デルタ層を形成しています。

人工的に作られた太田川デルタ
 かつて広島はほとんどが海で、比治山・黄金山は島でした。毛利元就の孫、毛利輝元が天正17年(1589)から太田川河口デルタ(三角州)の5つの島のうち、最も広い島に築城を始めたときに「広島」と命名したと言われています。
 デルタを堤防で囲む工事(島普請)が進められましたが、この地は低湿・軟弱な三角州の中にあったために工事は難航し、洪水との戦いでもありました。
 その後も干拓と治水は400年余りの間繰り返され、現在の広島市が形成されました。

   

   

太田川の水利用
 太田川は古くから農業用水などに利用されており、代表的なのは八木用水が1768年に開削されました。
 戦後には生活水準の向上、産業の発展等に伴い水需要が増大し、広島市や周辺市町の都市用水の水源としての重大な役割を担っています。

※八木用水
 時代は江戸にさかのぼり、当時の太田川右岸側地域(安佐南区)は川の水位が低いため、取水が困難で農業用水に乏しい地域でした。その頃祇園町で大工をしていた桑原卯之助(くわばらうのすけ)が、太田川の上流から水を引き入れることを思いつき、1768年に用水路の掘削に取りかかりました。
 水は太田川上流の八木村の十歩一(じゅうふいち)から取り入れ、その開削距離はおよそ16kmにも及び、9つの村の250ha近い田はこの用水によって潤されたそうです。
 現在は昭和37年に太田川河川発電所ができたため、発電所の水が使われています。
(現在の八木用水) (定用水碑)

現在太田川の水を利用する人々
 太田川には20箇所以上の水力発電所があり、その主要ダムとして立岩ダム(太田川)・王泊ダム(滝山川)・樽床ダム(柴木川)が建設されています。また、広島市・呉市・竹原市・東広島市・江田島市・府中町・海田町・熊野町・坂町・大崎上島町の人口約150万人に都市用水を供給し、農業利水・工業用水としても利用されています。
(間野平発電所) (立岩ダム)

太田川の水害
 流域に暮らす人々はいつの時代も太田川の恩恵を受けてきた反面、洪水などの災害にも悩まされてきました。
 太田川で最初に河川改修が行われたのは、昭和3年の大洪水が契機となったようです。昭和40年には太田川放水路の水門が完成し、以降洪水の不安が軽減されました。
 水害の歴史で記憶に新しいもので言えば、平成17年の台風14号が日本列島を襲来した際の大雨・洪水災害です。国土交通省太田川河川事務所や広島市では、この災害からの教訓に治水整備、水防・避難誘導活動の支援、地域住民への危険区域等の周知などが進められ、災害対策が行われています。

参考資料
国土交通省太田川河川事務所ホームページ
・著書「自然環境保全へ 太田川探訪−自然・資源・伝統−」
 発行「NPO法人ひろしま生涯教育研究所」
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